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存在もいつかは溶けてく

独断的気ままに綴る、あらしさんの話

『永遠の0』雑感

 

先日、3回に分けて特別ドラマとしてテレビ東京でオンエアされました。これがなかなかよかった。 

原作は百田尚樹さんの小説。ご本人のルーツの話から着想したものらしいことが、どっかに書いてあったな。映画の3倍の尺を使っているだけあって、映画では省かざるを得なかった「軍人・宮部」の部分もよく拾えていたと思う、見応えありました。 

で、他の戦争モノにはない部分ってのが実はこの「軍人としての」宮部の描写で、物語の中でも一番好きな部分なんですよね。

家族の元へ帰りたい、そこだけにとどまらず「そのために戦争を終わらせる」つまりは「戦いに勝たなければ」に繋がっていくわけで。だから落下傘で降下する丸腰の敵に対しても容赦なく機銃を打ち込むことができる。生かしておけば次、自分たちを殺しにくるから。また、劇中宮部は九死一生と十死零生の違いにとてもこだわります。周囲が根性論に走って行く中で、戦いに勝つための分析をやめないのです。そんな宮部にとって生き残る可能性が0という戦術に命を賭けることは、とうてい出来ないでしょう。戦争は装備であり、マンパワーである。悲惨な部分を描くのもありだけど、こうした見方で戦争を描いていくというのは、今まで私が知らなかったやり方で、小説読んだときにすごく感動しました。

 映画版の「0」のほうは、すごくヒロイックな宮部であり、ヒューマンな部分が前に出てる感じ。悪く言うと力技的に「スーパーマン宮部」にしちゃってたし、そこに惹かれて涙した人も多いと思います。あと色眼鏡的な見方で申し訳ないけど、岡田さんを主役に据えるなら、やはりそういうキャラ設定が妥当だろうな〜とも思ったし(^^:)

 翻って向井理版の宮部は、ハンサムなのに(笑)なかなか泥臭い。映画版よりずっと不器用で、本来の温かい人柄と軍人としての振る舞いの狭間で苦悩している感じがすごく出てました。ドラマのほう、第一夜で脱落した人も多かったみたいだけど、実はその次の第二夜でそれが一気に開花したと思った、初回の飄々とした佇まいは、もしかしたら敢えてのことで、時系列に彼の苦悩を深めていくための演出だったのかもしれないですね。第三夜、戦局が絶望的状況になり、ついに宮部は壊れてしまうんだけど、映画版だとそれがちょっと唐突に映ってしまったところ、ドラマ版は違和感なく観られたような気がします。

 雑感といいながら、ドラマのことばかり書いてしまったけど(笑)とりあえず向井理さん見直しました!(上からですいません ^^:   )彼はインテリな方だから、きっと当時のこととか調べてかなり理詰めで宮部を作っていったんじゃないかな…。まったくなんの根拠もありませんが、そんな役作りを思わせる力のこもった熱演でした。

 それなのに数字はあまり振るわなかったとか…自分がプッシュするものが評価が低いってのは、割といつものことだけど…^^:  なんともはや…残念だなあ〜。