真面目であること
先日、なかなか欠員が埋まらない自分のバイト先に、お友達を紹介してあげて見事採用となった。
こういうのって、結構珍しい。私の場合、なんていうか人様に親切にして、それが実った試しがあんまりない(笑)それが少なからず自分の性格にも影響してる部分があるのだけど、今回はその話ではなく。
彼女はつい数ヶ月前に、やっと子育てが一段落して仕事を見つけようとしていた。とはいえ、下のお子さんはまだ学校にあがったばかり。何より家の近くで…と見つけたところが超ブラックだったのだ。新人に容赦ない罵倒が飛ぶ、かなり理不尽な職場。久しぶりにランチで会ったときに彼女に言った。
「えーなにそれ。そんなの頑張る必要ないんじゃない?バイトは他にもあるんだし」
「うん…でも、それはもしかしたら自分が本当に至らなくて怒られてるかもしれないし、とりあえず3ヶ月くらい頑張ったら、それが見定められるんじゃないかと思って」
世の中にはこういうふうに考える、真面目な人もいるのだ。
そんなことを見定めるために、私だったら3ヶ月も絶対我慢しない。最近この耐性レベルが恐ろしく低くなっていることは百も承知だが、それにしても、である。
「バイトであっても一生懸命やる」
「バイトなんだから、そこそこに頑張る」
考え方として2通りがあると思うが、前者を全否定はしないものの、私は圧倒的に後者である(聞かずとも…だな^^:)で、得てして前者のほうは、そこまで頑張る正当性がない職場だったりするのだ。低賃金や、責任の重さなどの心的負荷がかかったり、過密な労働スケジュールだったり。
「バイトだけど一生懸命やらなければ」という考えは確かに尊い。けど、人の真面目さだけに頼らないと成り立たない現場はやっぱりどこかいびつで、いつか何かが壊れてしまうんじゃないか。組織が瓦解するならまだいいけど、真面目な人が追いつめられて精神の崩壊をきたすことだってある。それは最悪元へ戻せない。
結局、私の友人はそれから1週間経たずに辞めた。言葉の暴力に耐えられず、人前で泣いてしまったそうである(彼女も無意識のうちに涙がこぼれていたと言っていたので、精神的にもだいぶ危ない感じだったのではと思われる)改めて思うが、長く続けるために金銭的なことだけじゃなく「見合うこと」って要素は大事。とっても大事。
若い頃なら我慢できたかもしれないし、例えばそれが自分の将来やりたい仕事に結びつくようなものなら、我慢のし甲斐もあると思う。でももう違う。40代だし、子供が巣立つまであと最低でも12年だ。先を見据えたとき、いまの想像と違っていることがとても怖い年代に差し掛かってきていて、本当に気持ちにも余裕がない。
「おかげさまで採用になりました」との連絡をもらい、安堵。「皆さん優しくて良い人達」とあるのを見て、つくづくあのまま真面目さ貫いて悪意を浴び続けなくてよかった、頑張らなくてよかったんだよ…と思ってしまった。
誤解を恐れず言うが「いい加減」は持っておいたほうがいい。でも私はそれをちょっと持ち過ぎだと思うので(笑)彼女のような真面目な友人を手本にして“少しは”頑張っていこうかと思いますですハイ…(^^:)
ともあれ、めでたしめでたし。ここ何年かちょっと疎遠になっていたが、数少ない心許せるママ友の彼女と、また繋がれて嬉しい。長いおつきあいになりそうだ。
追記
この記事をアップした後に、こんな広告が現れてかなり面白かったので、載せちゃいます。楽に生きよう(笑)