存在もいつかは溶けてく

独断的気ままに綴る、あらしさんの話

魅力が宇宙 ~さとらじ終了のお知らせ~

「大野さんは魅力がすごい。宇宙みたい。」あるときふと浮かんだこのフレーズを気に入って、Twitterのプロフィールにも載せてるぐらいなのだが、そう思ったきっかけのひとつに、平日の朝 FM YOKOHAMA でやっている、大野さんのラジオ『ARASHI DISCOVERY』通称さとらじがある。最近のマイブームから、メンバーとのこぼれ話、家族やジュニア期の思い出など、毎日さまざまな大野智を知ることが出来た。私の場合、入口は歌だが、最終的にここまで来てしまったのは、ラジオで人柄を知ってしまったからというのが確実にあると思う。

 

新規ファンなので、さとらじを聴いてまだ一年ちょっと。はじめはとにかくギャップが凄くて朝からクラクラしてたのを覚えている(笑) 実は歌から入った嵐、ハマりすぎるのが怖くて(なんだその理由  笑 ) バラエティは最初敢えて観てなかった。いま思うと、普通に喋る大野さんを、私はほとんど知らないままさとらじに突入してしまったのだ。なにこの落差。この人寝起きなのかな?真面目にそう思った(笑) 彼のソロナンバーをBGMにひくことも多かったから余計に露骨で。あんなに鮮やかに歌えるのにメタメタなこの滑舌(サイコー!)「俺」という一人称がたまに「おり」になってるしwww それと、文字情報でしか知ることのなかった「んふふ」という彼独特の笑い方が「ホントに〝んふふ〟なんだ!んふふなんて笑い方する人(しかも男で)がこの世にいるなんて!」って、地味に感動してた(笑)本当に、こんなカワイイおじさん、興味が湧かないはずがない。

 

他愛ないエピソードの中に、彼を知るいろんな手掛かりがあった。人柄、性格的なことと同時に、時に「思考回路」が窺えた。よく覚えているのは「脱いだパンツを足で蹴り上げ洗濯機の中にボレーシュートするのにハマっている」の回(笑)

 

「これをやったらどうなるんだろう」っていう好奇心を持つと、それがどんなにつまらない事でも「どうしたらもっと上手くできるか」になり、そこへの飽くなき探求と反復練習が始まる。エピそのものは大変にばかばかしいのだが、唯一無二の大野さんの歌やダンスは、きっとこういうメンタルの持ち主だから生まれたに違いない。大野智の基本的な思考パターン。打算なく物事に取り組めるのがとても素敵だと思った。

 

そしてもう一つ。打算なくというところから派生して、大野さんという人の〝構えの無さ〟を随所に感じたのも、このラジオからだった。共演者や事務所の後輩について語る時、いや、すごく広げるとメンバーや私達リスナーにもそうだったかもしれない。人に対しての距離のとり方が一様で、近すぎず遠くない。普通の人ならちょっと遠慮のある距離感のように見えそうなところ、なぜだろう大野さんの場合はネガティブな感じが全く無くて、それが実に好ましい。

 

逆に言うと、心の中がフルオープンだから醸し出せるものなのかもしれない。先入観も、下心も、何もない。誰に対しても「何もない」で接していける。もちろんご本人の魅力があって成立する話だと思うが、こういうスタンスを見える聞こえるのカタチで感じたことが無かったので、「なんて不思議で、素敵な心の在り様をした人なんだろう、めちゃくちゃ宇宙だ」って、ジワジワと感動が押し寄せた。この人を見習いたい。この一年ちょっとの間に、そんなエピソードが沢山あった気がする。

 

汗かき体質なのも、声帯を震わせる技術を持っていることも、握力50を超えたいのも、黒い服を選ぶのは「なんとなくちゃんと見えるから」なのも(笑) みんなさとらじで知った。身震いするくらいキモチワルイこと言うが、ラジオのおかげでほんのちょっと「近くに行けた」ような気になれた。遅れてやって来た私のようなファンが、少しだけ時間を取り返せたような気になれてたのだ。

 

毎朝本当に楽しみだった。シンプルにとても寂しいし、重大発表の日は正直かなり落ち込んでしまった^^;  やだやだ、超終わって欲しくないよー超。

 

でも、ショックだったのと同時に、心の片隅に腑に落ちるような感覚、潮時感があったのも事実だ。実はいまから10年以上も前のことになるが(大野さんとは比べ物にならないくらいの末端レベルです)ラジオに出演者として参加をしていた個人的経緯があり、媒体としてのラジオがいかに小さく、弱いものであるかを肌で知っているからだ。

 

番組が始まって14年半と聞く。率直に言って、その頃の大野さんだから始められた番組で、いまの大野さんが出るには諸々〝見合わない〟ことが沢山あるんだろうな~と、末端なりにずっと感じてきた。だから今回の発表、ついに来たか...というふうにも思ってしまったんだよね...( ´・ω・`)

 

仕事でもなんでもそうだと思うが、長く続く物事って ヒト、モノ、カネ、広く言うと時間とかも入るか...とにかく、条件が色々〝整って〟はじめて成り立っている。どこかに無理をきたせばいつか綻んだり、いびつになったりする。あくまで個人的な推測でしかないが、さとらじの場合もうとっくにそういう域は飛び越えてておかしくないのに、ご本人や関係者がずっと踏ん張ってくれてたんじゃないか、そんなふうに思えてならない。だから終わるのホント寂しいんだけど、いまは「よくぞここまで続いてくれた、おかげで私のような新参者が間に合った!」と有難い気持ちの方が強くなっている。過去のリスナーさん含め、続いていくための環境を作り続けて下さった、全ての方々にお礼の気持ちでいっぱいです。

 

とはいえ、これも言わせて。だからさあ~、戴ける精神的恩恵に対して、ラジオは予算規模が全く追いついてないと思うのよ!誰かこのオタク大喜びのジリ貧産業が爆裂的に儲かる仕組みを構築して今すぐ!っていう...…そんな心の叫びも載せときますね...(´-ω-`)

 

明日からの2週間。栗原さんとの掛け合いや過去音源なども流れるらしい。あまりしんみりしないでカラッと終わってくれたら嬉しい。これで終わりじゃなくて、またこの先、条件が色々整うかもしれない。楽しみに待ってますっていう4月の始まりにしたい。人生はこれから、前向いていこうぜ!w

 

さとらじ、ありがとう。