存在もいつかは溶けてく

独断的気ままに綴る、あらしさんの話

僕とシッポと神楽坂

急になんの宣言って思うけど、嵐のメンバーがよく言う「自分は俳優ではない」っていうのに、私も概ね賛成である。是か非かではなくそもそも成り立ちとしてジャニーズと俳優は違うと思っているからだ。

 

役者は役にどこまでも近付いていける環境にある(と思われる)が、商品価値の大部分がその人〝そのもの〟である(と、やはり思われる)アイドルは、職業の特性上別の人になりきることにどうしても制限が出てしまう。いいか悪いか分からない言い方だが〝その人〟のパーソナルな色が出過ぎてしまうのだ。

 

だからアイドルは演技仕事には向かない、と言いたいのではない。その人の色味が強烈に役とマッチして、観てる側の助けにもなったりするのだ。最近だとニノの渡海先生。時に非情の側へ墜ちるフェアネス、でも根底にある温かさ。ご本人を応援しながらよく感じる要素だ。いいマッチングだなーと思いながら観てた。

 

前置きが長くなった。ここからが本題、相葉さんの『僕とシッポと神楽坂』である。最終回を迎えても、まだ余韻が抜けない。原作未読だから、作品そのもののテイストや漫画の中のコオ先生がどんなキャラクターかを知らない。だから実写モノとしてどうだったかはわからないけど、本当になんとも言えない温もりと力強さを持った、いいドラマだった。

 

出た作品の全ては観てないけど、俳優としての相葉さんには(歌もだけど)独特の「憂い」があるなあ~ってずっと思ってた。過去に身体を壊した経験があるからだろうか、元気で明るい役をやっていても、ちょっと曇った表情にたまらない哀愁を乗せてくる、そんな感想を抱いてた。

 

まずは今回、彼のその憂い顔を映像として実に素晴らしく、過去最高の分量で見せてもらったことに感動。ついにアレが世に出てしまったかという思いだ。「えっ!なんかワタシの知ってる相葉ちゃんと違う…!」て思ったお茶の間の方も多かったかもしれない。そう、違うんだよ「明るくてお茶目でオッチョコチョイ」なだけだと思ってたらホントに大怪我するんだよ…(と、ほくそ笑む)

 

なんたって嵐。さらにその一般的な好感度の高さからCM王の名を欲しいままにした(かどうかはわからないw)相葉さん。おまけに動物バラエティの経験も豊富ときてる。ということは、である。もっと〝そちら〟に寄せた演出や相葉さん自身の役へのアプローチも可能性としてはあったと思う。実際、初回を観た感じではキャラデザインがそこまで〝哀愁押し〟ではなかったし、ダイキチ&オギに妙にカワイイを意識させるようなアフレコがつけられていたりした。実は私も初回の終わりにこんな感想をツイートしている。

 

ところが回を重ねるにつれ、その〝相葉雅紀っぽさ〟はどんどん薄まって、最終的には完全に意識の中から居なくなった。そこにいたのはただただコオ先生で、深川監督が仰っていた「演出のハードルを上げた」のタイミングとも符合するが、後半折り返してからは特に強くそうなっていったと思う。

 

もう一度断っておくが、私はジャニーズがアイドルとしての華を武器にお芝居をすることになんの嫌悪感もない。むしろ好感だ、俳優の土俵で専業の人と同じことをするための戦い方だし、正しいとさえ思ってる。

 

でも今回の相葉さんは、言わば「いちばんの強み」を使わずに演じ切ったと私は思ってるわけで。この初めてとも言える感覚は、果たして芸歴20年を超える人に持っていいものか…いや、だがとにかく感動したんだ、たまらなく…たまらなくこの先、2年先5年先の俳優・相葉雅紀が楽しみだし、期待しかないと思ってしまった。

 

都会のど真ん中にありながら、喧騒から取り残されたような独特の情緒。神楽坂という街にもとても興味が持てたし、脇を固めるキャストも皆素晴らしかった。もちろん動物たちにも癒された。

 

ささやかだけど、しっかりと感じられる人の営みや息遣いが、観ている人の日常に寄り添い光を当ててくれる。シンプルなストーリーで子供でもわかりやすく、かつ余韻のほろ苦さは何故か大人の心にも忘れ難さを残す。「また会いたい…」コオ先生、心からそう思えるキャラクターだった。続編…やって欲しいなぁ…。