存在もいつかは溶けてく

独断的気ままに綴る、あらしさんの話

信じることがすべてと歌う人達に送るメッセージ

ご無沙汰です、今年最初の、そして最後の更新です。

 

VS嵐嵐にしやがれ、10年以上続いたレギュラー番組が最終回を迎え、いよいよ、いよいよ!というムードが高まっている(てか今日は30日だ) 11月が終わるまでの間はほぼ実感が無かったが、月が変わったら急にギアが入って猛加速してる、といった体感の師走だった。通勤途中のバスの中で時々涙ぐんでしまうし、後先考えずにグッズを買ってしまうし(笑) 情緒もやや不安定だ。

 

一方でこのラストひと月は嵐に送る感謝やねぎらいの言葉が連日さまざまな媒体でまさに嵐となって吹き荒れている。もうこれは盲目愛によるバイアスでしかないけど、嵐は間違いなくどのスタッフからも、どの共演者からも、どのスポンサーからも愛されて、さらには業界だけでなく、お茶の間の大して芸能界に興味のない人たちからも大いなる好感を持って育まれてきた、そういう21年だったとなんの媒体を見ても感じることができる。嘘のない、愛にあふれた思いが飽和していくような感覚に包まれる(で、また泣いてしまうw) 

 

あの会見の日からこの年末、どんなふうに自分が感じてるのかをずっと想像しながら暮らしてきた。休止は寂しくて仕方ないが、でもあのとき想像していたよりはずっと穏やかで優しくて少し陽射しも感じられるような、そんな温かい心持ちでいることは間違いない。このブログでちょうど一年前に記事を書いて「休止まであと1年」の気持ちを綴ったが、そのときと大きくは変わっていないし、そこよりはさらに少し明るい…というか泣き笑いの感じ?(上手く言えない‪w)少なくとも「絶望」とか「自暴自棄」とかいう感情とは真逆のものだ。こんなに世の中が混乱し予定が大きく変わってしまったのに、ブレずに想いを届け続けてくれた嵐のおかげだと思う本当に。ありがたいしかない。

 

さて私個人の2020年だが、休止ラストイヤーやコロナを除いても実はあまり明るいものでなかった。なんなら最悪だったかもしれない(苦笑)。年初から色んなことがあり、端的に言うとちょっと人間不信、その延長で自分のことも全く信じられなくなった。同年代の友人達に聞くと皆「そんなもんだ」と言うから年齢的なものもあるのかもしれない。気持ちの濃淡というのだろうか朝起きて「今日は気分が落ちている」とか「今日はそう暗い心模様でもない」を自問自答するような。とにかく澱んでいた、具体的な悩みでないだけにタチが悪かった。

 

自分がそんなことになってみて初めて気付く、辛い時に嵐が支えてくれた的な、SNSで何度も目にしてきたあの類の話は本当だったと。いままで実感を持って読んでなかったことを平に謝る、本当でしたマジすいませんでしたと。

 

無論それは彼らがただ存在してればいい、ということではない。その活動のひとつひとつに精一杯の真心を感じられたこと、中味が伴ってこその話で会見の日から2年弱、ついにこの年末まで「足りない」ということは無く「残された時間で精一杯感謝の思いを返したい」という言葉にも嘘はなかった。その事実を前にすると、やっぱり落ち込んでばかりはいられなかったし「信じられる何か(誰か)」という存在は、やまない憧れを伴ってこんなにも人を心強くさせるのかと認識した。支えられた、もう残る時間は僅かで私からはなんにも出来ないのが不甲斐ないが、これからも心に嵐を携えていくことでせめてものお返しとさせてもらいたい。

 

ところで。すっごく妙ちくりんな例えを言うが例えばドラマなんかで、殺された恋人の復習をしようとする犯人に「そんなことをしても死んだ人は喜ばない」と諭すシーンをよく見ると思う。私は少々ねじ曲がった人間なので、今まではこの手の場面に出くわすといくらか興醒めしていたのだが、いまなんと、あのセリフが突如として真実味を帯び始めている。もちろん嵐の誰ひとりとしてそうなった訳ではないので例えとして不適切なのは御容赦頂きたいが、明けて1月1日以降、メソメソと泣きながら暮らすのはなんとなく違うのかな、そんなことをしても誰も喜ばないよな、と思っている。じゃあどうやって暮らすのか。ぼんやりとした決め事だが、変に蓋をせず昨日も聴いてた嵐を普通に聴いて、休みの日には円盤も観て、これまでと変わりない日常のままゆるゆると漂っていきたい。いつだって「いまが一番」の嵐の現在を知れないのは本当につらいけど、なるべく明るいイメージを持って丁寧に日々を送りつつ「いつか笑ってまた再会そう絶対」を待っていられたら、いつしかこれが私の着地になった。そして少しだけ具体的なプランとして「嵐が生まれたハワイの海をいつか見に行きたい」と。これは将来のちょっとした夢だ。来年からも頑張って働こうw

 

話が行って戻るがそんな心境でいられるのも、嵐が嵐のまま変わらずにいてくれたこと(それがどんなに尊いことか!)そしてこの2年弱の間に物理的にも精神的にも大変な苦労をして膨大なものを残していってくれたから。もうそこに尽きる。曇りのない彼らに頭が下がるじゃ足りない、土下座してさらにおでこが地面にめり込むぐらいの気持ちだ。もはや「きちんと生きていく」ことでしか返せないと思う。

 

 最後にお休みに入るおおのさんについて。

 

このところ退所する人が相次ぐジャニーズ事務所だけど、みな「次にやること」がある人達ばかりで、そうじゃないのはおおのさんだけっていうのが改めてジワジワしてしまうんだ(笑)しかも事務所に籍はあるしw つくづく「おおのさんだなあ~」って思う。

2年近く経ったけど、あの会見から先も何も変わらないで穏やかに笑っていてくれてよかった。ホッとしています。

少し前にヒロシさんとのロケで「芸能界にはすごい人がいっぱいいる、自分はそうではない普通の人だ」って言ってたのが妙に心に残ってて。おおのさんを少しでも知れば、あのコメントにはすぐ共感できるけど、そんな場所に20年以上も身を置き続けてきたのに、まだ「自分は普通だ」と言えちゃうことが実はいちばん普通じゃないんだよね(笑)そこにご本人は気づいているんだろうかw

 

けど計らずも今年こんなことになって、実は普通だと思ってることも普通ではなくなるし、一見普通でない世界も実はどこにでもいる人たちが生きている所とシームレスだということ、私も感じたそんなことを、おおのさんも今年少しは感じていたのではないかと想像する。自由を愛し、自由にも愛される彼には来年以降心ゆくまで、それこそおなか一杯になるくらいの自由を得てほしい。でもその一方で願わくば、つながった糸を不自由だと思わずに「帰ろう」と思ってくれたら、そんな気持ちを祈るように持ってもいる。あくまでも私の願望である。

 

 さて、2020年もあと1日を残して暮れようとしている。キワのキワまでと言ったニノの言葉通り、いまこの時も心の底からワクワクしてる、出来ている。嵐が大好きだ。ライブが、幕を開ける。