NNNドキュメント’19
ちょっと予定になかったブログ更新だが、いたく感動したので短く残しておく。
昨年7月の西日本豪雨のその後を追ったドキュメント番組。通常枠を拡げて1時間の特集。そのナレーションを松本潤さんが務めていた。
広島県内の被災した地域を慰問した縁で決まったそうだが、ここでひとつ私の勘違いを。この情報を知ったのがTwitterで、その際慰問した時のニュース画像が貼ってあったので「あの慰問はこの番組のためのものだったのか!段取りがよすぎる!」て驚いたんだけど、そうではなくて。あくまで慰問はボランティアで、それが先にあってから改めてのオファーだったようです(番組制作者さんの呟きから推察) 下衆に勘ぐった自分を恥じたよね。うん。
重たい内容の番組と分かっていながら、どんなふうに喋るのかなと、ちょっと楽しみにしてた潤くんのナレーション、休みの日にじっくりと観た。
なんていうか、想像していたものと全然違った。
たまたま記憶の新しい部位に刻まれているのが untitledコンサートで途中に挟まれていた語りの部分。あとはナラタージュでもモノローグでアフレコしてるのがあったか無かったか…(だいぶ曖昧)
とにかく自分のこれまでの蓄積の中にある、どの松本潤とも違った。声が違うとか、そういうんじゃなく具体的に説明できないのがもどかしいが、少なくとも私が知る(ゴメンたかだか3年くらい)期間で出会ったことの無い松本くんだった。
昨年、国分太一さんと対談した時だったか、自分の声を「ちょっと鼻にかかっている」と評していた松本さん。確かにそう、ナレーションに向いている声かと言うと多分そうではない。でも「は?そんな定義どうでもよくない!?」って、理屈が吹っ飛んでどっか行っちゃうくらい、語る声の真摯な響きに心打たれたのだ。
荻山D「松本潤さんのナレーションは、想像を遥かに超えて素敵でした。特に、番組後半で主人公の少女に語りかけるシーンでは、ぐっときました。」と語る
— 南海放送ウィット広報部 (@RNB_wit) 2019年1月20日
写真は、松本潤さんがナレーションを収録した部屋。読み方やトーン、スピード感などをメモしながら、真剣に取り組んでくださったそうです。
↑ この呟きのように、テクニカルな注文がいろいろ飛んだ上でのあの出来だったとは思うが、にしてもだ。それだけでこんなに感動はしないだろう。「悲しく読むスキルのある人が読んだ悲しい文章」ではなく「本当に悲しい思いをした人」が読んだものという感じがした。あの場所へ実際に足を運んだ人だけが吸収できる感覚。それがしっかりと音声に乗って私たちの心を揺さぶったに違いない。多忙を極める松本さんだけど、制作する側の人もそこに期待をして彼にオファーしたのかなと。上手く読める人は幾らでもいるけど「寄り添える読み手」となるとそうはいない。
番組の感想を最後に。冒頭1月7日の映像が衝撃だった。ほぼ手つかず、いや恐らく手がつけられないのだろう。剥き出しの山肌。今回登場した三組の方々は、その被害に真っ向立ち向かうのではなく、どこか「リセット」してやり直す選択をしたように私には映った。住まいや育った街、親しい人達と集った場所が無くなってしまうのは淋しいけど、本当に大切なのは場所じゃなくて、周りにある小さくても確かな繋がりで、どの場所からでもまた前を向いていける。そんなメッセージを受け取った気がした。そういう人の温かさがほんのり灯るようなトーンの映像に、潤くんの声が乗ることで陰影がつくというか、作品がピッと引き締まる効果もしっかりと感じた。上の呟きにもあるが、潤くんが唯一ドキュメントの中の人(小学生の女の子)に語りかけるとこ、涙が溢れ出た。徹底した抑制の中に、こんなにも想いを込められるんだな…大真面目に思うよ、潤くんは心の綺麗な人です…思い出してまた泣く…(あつくるしい)
200万個のスワロフスキーをバックに歌う一方で、クレジットがひとつ出るだけの、大々的な告知も無いこんなお仕事もされてるんだなって。なんか…すごい…沁みる。素敵だな、出逢えてよかったな、ワクワク学校でいつもより多めにグッズ買ってよかったな(笑)って。涙拭きながら観たとある日の出来事でした。
またもっと、嵐が好きになった。