存在もいつかは溶けてく

独断的気ままに綴る、あらしさんの話

忍びの国と2017年の私

先日無事に忍び納めをしてきた。あらしさんが東京でコンサートをするタイミングでまた復活上映もしていて、ホントはあともう1回…と言いたいのだが、ここがタイミングかと思い、書き残しておこうと思う。

 

7月1日の封切り以来、結局12月の今日現在で17回鑑賞した。まず、それが可能だったってことに驚きしかない。そんな長いことやってた映画を他に知らない。いや待てタイタニックは半年くらいやってたか?…まあいい先へ行く。あと、一度終わってからまたやる、というのも当初自分の想定の中に無かった。映画館のスケジュールってもっと色々縛りがあるものだと思ってたから、そもそもそんなことが出来ること自体驚かされた。

 

ロングランの口火となったのは、やはり応援上映だろう。正直「応援向きか」と言われたら…ギリギリのラインである。私も一度行かせてもらったが最後のシリアス展開になったら通常上映と変わらなくてみんな黙りこくってたし(笑)けどペンラが振れる、うちわが振れる、わーきゃー言える、手拍子できる、いろんな要素がジャニーズの文化にハマった結果、47都道府県すべてで開催が叶うという快挙も達成した。身体を揺らし声援を送りながら聴くつなぐは最高だったし、純粋に楽しかった。連れてったうちの子供らも思い出になったみたいでよかった。とにかく全国の嵐ファン智ファンと何かを分かち合えたような気持ちになれて嬉しかった。

 

ところで17回という回数だが…後にも先にもこんな経験やって来ないだろう。ちなみに夫にも言っていない。5回を超えてからいわゆる「普通の人」には言えなくなった^^:過去に劇場で観た映画、いちばん回数多くても4回の私。自分のことなのに「いやどう考えてもこんなに行くのおかしいでしょ」ってなってる。いくら好きでもさすがに常規を逸してる(笑)10回目辺りまでは純粋に「観たい」が先行してた。日頃軽々しく口にしているが本当に「何遍でも観れるやつ」だったから。それは回数重ねても目減りすることは無く、何度でも高まった。ホントに飽きないもんなんだなあ〜って、自分が自分自身にビックリしてた(笑)

 

いきなり大野さんに全然関係のない個人の話で申し訳ない、実は今年の夏、とあるTVドラマのエキストラに参加させてもらうことがあり、その頃からだろうか、忍びの国については別の感情も湧いてくるようになった。9月上旬気温32度のその日。午前中から午後2時くらいまでの撮影で、ちょっとその辺歩く通行人役の私は、めちゃくちゃ体力使って口も利けないくらい消耗してしまったのだ。そのとき思った、こんなことを8月に、しかも山奥で、一切脱げない着物着て、台詞喋って走り回って延々やってたのかと。自分と大野さんの体力比べちゃいけないけど(笑)なんて大変なお仕事なのかと。演者はもちろん、監督さんやカメラクルーといった「撮る側」の胆力にもすごく想いが行ってしまって、それからはなんだか「大変な作業の末に出来た作品、おおのさんの頑張りに応えたい」って、本当にガラにもなさすぎて若干引くんだけどw でも確実にそういう熱量で劇場に足を運んでいたと思う。そう、私は完全に「ほだされて」しまったのだ。

 

これ以降忍びについては単に映画を観る、作品を味わうというところから「応援する」という側面が強くなっていった。同時に映画に限った話じゃなく、全体的なファンとしてのスタンスそのものも変わっていったのだが、それは後で話す。

 

もうひとつ象徴的なエピソードを挙げる。今だから言えるが、実を言うと忍びの国、最初の頃は演出などについて、他作品を観る時と同じようにあれこれ言いたいことがあった。「いやそこは違う、そこで観たいのその大野さんじゃない」と思ったシーンも正直に言おう、あった(笑)

 

ところが、色々と人様の感想などを読むにつれ、その箇所がよかったと言っている意見があったり、いちばん強く覚えているのは、海外で上映した際その箇所が観客に大ウケだったと言うのだ。それを中村監督のインタビューで知ったとき私の中に瞬時に溢れたのはそれを否定する感情ではなく「わあ〜よかったね!おおのさん、よかったね!」という気持ちだった。嘘偽りなく心の底から。同時にこうも思ったのだ。「私の好みや拘りなんて、どうでもよくない?そんなの宇宙の塵みたいに小さい問題じゃない?監督が信念を持って演技つけて、その結果お客さん(しかも海外の)が大喜びしてるって事実があまりに素晴らしくない?」って(笑)なんていうか恥ずかしかった。自分がどう思うかなんて、本当にどうーーーでもよくなっちゃったのだ。

 

なんなんだ、この「まるごと呑み込む」みたいな肯定感。そして自分の血迷いっぷり。笑うわ。嵐や大野さんについては、元々彼らがある程度のステイタスを得てからファンになってるおかげもあって、例えばブレイク前の人を好きなるのと違い「もっとこうならいいのに」とか「こんな仕事をしてほしい」みたいなのが薄いなという自覚があった。でもこの気付きでなんていうか、それがさらに強固になった。本当に求めるものが何も無い。もはや願うことなんて「どうかいつまでもお元気で…」ぐらいだ(笑)

 

秋のアルバム発売。あれが決定打だったかもしれない。ソロが無いこと、歌割りの変化、さらに鈍感な私はあんまりよくわかんなかったけど^^; 大野さんの歌い方の変化。そこに渦巻く様々なファンの思いというものも知った。私には元々そこまで激しいソロ願望は無いし、今回何も不満は無かったけどそれはたまたまで、この先彼の仕事の中身やペース、出来栄えなどにさらに変化があって、仮にそれが進化だとしても「今まで好きだった大野智」じゃなくなるかもしれない。それは他人事じゃない。でも!そうだとしても尚「いや大丈夫です、こちらの気持ちの問題なんで。こちらの嗜好を変えればいいだけの話なんで、大野さんの方は大丈夫ですから平気ですからどうぞお構いなく…」と言ってのけたい、そういう自分でありたいと強く願うようになったのだ。

 

こんな好きの成り方ってあるだろうか

 

最近認めている。私は明らかに大野さんに〝 執着 〟してる。すれ違いたくない、この先大野さん側の都合で何かあったとしても、私のほうからは出来たら離れたくないと、今年の後半はそんなことばっか思ってた。書きながら自分が重すぎてめっちゃ痛々しいが、今年は大野さんだけじゃなく、メンバーそれぞれに個人のお仕事も際立ってて、インタビューなどからも個々を掘り下げる作業をしてた気がする。その結果、単に観てきゃあきゃあするところから、さらに踏み込んだ5人の〝心の領域 〟みたいなことにすごく掴まれてしまったし、私自身の物の考え方に確実に影響も出た。ある意味「哲学」(笑)いやちょっとこれ…離れられないよ…(大汗)

 

今年も間もなく終わるが、とにかく今私は〝 努力したい 〟と思ってる。コンサートを当ててくれた高校の友人と長いことファン活動を共にしてる潤担の人が「いつでも〝 いまの潤くん〟が一番カッコいい」と言ってるのをきいて、なんだか感動してしまったんだけど、そんな感じかな。もちろん過去の堕ち経験は眩しいし、最高に好きな曲や役は色褪せない。でもその上で、私も「今が最高」と彼らに言ってあげたい。そしてそのためには私も努力しなきゃいけないんだと。思考や間口を大きくして自分を拡げなきゃと。何をどうしたらいいか、具体的なことは何ひとつわからないけどね^^; これ、来年の抱負かな(笑)

 

1本の映画をきっかけに、ここまで思考が広がってしまって恥ずかしい気持ちしかないんですが…ちょっと吐き出させてもらいました。1年読んでいただいた皆様に感謝、この想いを胸に年を越します!w

 

2017年、有難うございました。